歴史好きに人気の高い幕末長州ゆかりの
5ヶ所の史跡を回るコース
幕末、藩主である毛利敬親は、幕府を無視して藩の主要機能である藩庁を萩から山口市に移転しました。西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬をはじめ、高杉晋作・伊藤博文・木戸孝允など多くの志士たちが集った明治維新の策源地を、歩いて回ってみてはいかがでしょうか?
所要時間:徒歩2時間程度
【おすすめルート】

洞春寺
第一次長州征討後には、幕府恭順という藩の決定に異を唱える藩士たちが寺に集まり撤回を求めたが叶わず、悲嘆、憤慨のあまり抜刀し柱を切りつけ、その傷は今も本堂の柱に数多くを確認できる。また、四境戦争(第二次長州征討)の際には、長州藩諸隊の一つ、井上馨を総督とする鴻城軍が一時駐屯した。
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枕流亭
豪商・安部家は藩主毛利氏の参勤交代時における山口の本陣として使用され、その一角に離れとして存在したのが枕流亭。幕末、倒幕に向けた動きが進む中で、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らが山口を訪れこの枕流亭に宿泊し、長州藩の桂小五郎、伊藤博文、広沢真臣らと薩長の連携に向けて密談を重ねた。
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旧山口藩庁門
長州藩主毛利敬親は、幕末の有事に備え藩庁を萩から山口に移す決意をし、1863年(文久3)に現山口県庁の地に政事堂建設を着工している。この門は、1864年(元治元年)竣工した政事堂の門として建造され、1871年(明治4)までは山口藩庁門として使用され、以後も山口県庁門として引き続き使用された。大正初年新しく県庁舎が竣工した。
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山口市菜香亭火曜休館
元は長州藩(萩藩)の膳部職だった齊藤幸兵衛が、1877年頃に八坂神社(山口市上竪小路)の境内にて開いた料亭「祇園菜香亭」の建物。萩藩の台所支配人が開いた料亭ということで、維新後は井上馨の他にも伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)、山縣有朋らの元勲の他、内閣総理大臣経験者である田中義一、岸信介、佐藤栄作らがひいきにした。
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十朋亭維新館火曜休館
幕末期、長州藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、萬代家が藩の役人たちの宿泊所となり、当主・萬代利兵衛が志士達の活動を援護していたことから、多くの来客があったと伝えられている。桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎など、維新の志士の名が連なる。また、伊藤博文が、この十朋亭を宿とした記録も見られる。
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